「フリッカー・ナイト」
表現としての明滅(フリッカー)
1998年の「ポケモン事件」は、透過光によって緑と赤を明滅(フリッカー)させたことに原因があったといわれる。しかし、少なくとも映像作品のなかで明滅は、つねに表現手段として使われてきた。このことは『ポケモン』の場合も例外ではない。明滅は表現なのであって、この点を無視して明滅を語ることはできない。
商業映画の場合、基本的に明滅は視覚効果として使われている。サスペンスやホラー映画に用いられる明滅は、不安や恐怖を象徴していることが多い。明滅は、コマ単位で挿入される点でアニメーションの問題に関わっているし、明度の異なるショットをつないでいる点ではモンタージュ(編集)の問題でもある。
クーベルカの『アルヌルフ・ライナー』やコンラッドの『フリッカー』のように明滅だけで成立した実験映画も存在する。しかし、クーベルカとコンラッドでは、明滅に対する関心が異なっている。クーベルカの作品は、黒と白というもっとも単純なショットによる究極の編集表現であって、映画の構造的(分析的)なアプローチである。一方、コンラッドの関心は、潜在意識の覚醒にあって、明滅によるトリップが期待されている。
明滅の歴史は古く、そのあり方は多様であって、今日の映像作品にも受け継がれている。「フリッカー・ナイト」では、新旧の明滅作品、明滅に関連した作品を集めている。ささやかな試みだが、「表現としての明滅」を改めて考える機会となるだろう。
レジュメ
「ポケモン事件」
1997年12月16日6時半
幼児、児童を中心に痙攣発作、意識障害、不快感などの症状で病院に行った人が658名にのぼる。→on YouTube
フリッカーの先駆的作品
チャールズ・チャップリン「巴里の女性」1923 → 駅のシークエンス
ルネ・クレール「バレエ・メカニック」1924
フリッツ・ラング「メトロポリス」1927 → 幻想シーン
ジガ・ヴェルトフ「カメラを持った男」1929
フリッカーの多い作品
トビー・フーパー「ポルターガイスト」1982
ティム・バートン「スリーピー・ホロー」1999
クーベルカ:オーストリア出身
「コウノトリ」ははっきりとスタイルを確立した作品
「シュベカター」は、ビールのCM → ひとコマを意識した制作
→ 「アルヌルフ・ライナー」につながる試み
60年代のアンダーグラウンド映画
1960年代のアンダーグラウンド映画では、明滅映画が流行する
コンラッド、シャリッツなど。多くの作家が明滅を使った。
「拡張映画」→ 従来の映画の概念を拡張する試み
マルチスクリーンや映像パフォーマンス
アンディ・ウォーホル
「ベルベット・アンダーグラウンド&ニコ」
「エクスプローディング・プラスチック・イネヴィタブル」
ウォーホルの映画、男女の卑猥なダンス、喧騒な音楽、ストロボ・ライト
→ 拡張映画の試み
拡張映画には、意識の拡張という意味が重なっている。
ドラッグ・カルチャー、サイケデリック・ムーブメント
従来の合理的な意識を超えて、潜在意識に直接働きかける
ドラッグによるトリップ、宗教における瞑想 → インド哲学、仏教(禅)
明滅は、潜在意識を覚醒する手段として活用された。
宗教的なイメージと明滅の接点が生まれる。
ポール・シャリッツ
「ピース・マンダラ」:セックスと自殺のイメージが色の明滅のなかにあらわれる。
「マンダラ」というタイトルに東洋的な宗教に対する関心があらわれている。
松本俊夫「色即是空」
精神的な高揚感(エクスタシー)を映像そのものによってつくりだす。
「アートマン」(1975) 連続写真のコマ撮りで痙攣的な視覚効果をつくる。
← 「エクスタシス」1969
般若心境を5回繰り返す。
1回目:文字に色
2回目:絵画記号が挿入、人間の五感
3回目:対象の色(現象)、欲望のイメージ
4回目:宇宙原理を求める瞑想的な世界、コズミックな象徴的イメージ
5回目:「空」の世界、あらゆるイメージが消えて色の反復する
→ 宗教的な高揚感(エクスタシー)を体験させる
宇川直宏
90年代初頭から、VJ、CD、ビデオなどのビジュアルを手がける
「スキャニング・オブ・モジュレーション」は、1999年にケーブルテレビで放映された。
ポケモン事件が問題になったあとだったので、話題となる。
2008年2月
掲載;『映像をめぐる7夜』リーフレット(東京都写真美術館)
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