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イニシエーションとしての絵画


名知聡子がオペラシティーギャラリーの「project N」で行った展覧会は、彼女にとって東京ではじめての個展である。そこには、昨年の「新進アーティストの発見inあいち」のときに制作した「天井の下」も出品されていたが、個展のメインとなるのは、二四〇×一一四〇メートルという大作の「絶望と希望」である。つねに彼女はパワフルに巨大な絵画を制作する。

名知は、自分自身をモチーフにした絵画を描く。その描写はきわめてリアルであるが、現実をそのまま写しているのではなく、ある種のファンタジーとして描いている。明らかにそこには、センチメンタルでナルシスチックな要素が認められる。一方で名知の絵画には、つねに死のイメージがあるようだ。どこか祝祭的なイメージがあるようにも見える。

名知の絵画には、それまでの自分と決別しようとする意志が感じられる。そこには、失われていく自分に対する慈しみのような感情がある。この失われていく自分がひとつの「死」であり、名知はこの自分のなかの「死」を描いているのであろう。おそらく名知は、それまでの自分に別れを告げようとしているのだが、同時に失いたくないと思う気持ちも一方にあって、その感情が彼女の絵画を美しいイメージで飾り立てるのではないか。

名知は、作品によってひとつの儀式を行っているといってもよい。つまり、失われる自分を追悼する儀式であり、新たな自分を祝福する儀式である。わたしは通過儀礼という言葉を思い出した。一般に通過儀礼とは、子供が大人になるための儀式をいうが、そのなかには擬似的な死を体験するものがある。いったん死を通過することによって新たな自分に生まれ変わるのである。

名知の作品は、彼女の精神的な成長と共にある。しかし、まだ過去の自分と完全に決別していないようである。ここに名知の作品の危うさがあるが、それが作品の魅力にもなっているだろう。もし彼女がまったく新しい自分を見いだしたとき、作品はどのように変化するのか気になるところである。


2008年8月
掲載;『芸術批評誌「リア」』19号

(c)NISHIMURA TOMOHIRO

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